監督回想録

2016.07.06

【第1話】 原爆の残り火が生み出すドラマに、どんどん引き込まれて…

原爆の残り火は、福岡県八女市星野村で70年間、燃え続けています。

ちょうど去年の6月頃でした。
世界平和イベント・アースキャラバンのシンボルとして、原爆の残り火が、世界で初めてエルサレムに行くんだし、記録としてドキュメンタリーでも撮っておこうと、軽い気持ちで準備を始めたのは。

初めてカメラを回したのは、
2015年7月3日、福岡県星野村で燃え続けている原爆の残り火
「平和の火」の採火式。

被爆二世の方も採火式に参加されていたので、
「平和の火を見てどう思いますか?」と質問したんです。
「世界中の人が、この火を見て、平和を考えるキッカケにしてほしい」といった模範的な答えを想像していたのですが、 「平和の火とは思えない」という、予想外の答え。
「憎い」「怒り」みたいな感情が湧いてくると言うのです。
これには、ガツンとやられました。

正直言うと、僕の中で平和活動と言うと、
「手を上げて横断歩道を渡りましょう」じゃないですが、
風紀委員の正論というか、なんか綺麗事でイヤだなぁ、みたいなとこが心のどこかにあったのですが、
この返事で一気に興味が湧いてきたんです。

「憎い」「悔しい」「悲しい」
でもそれじゃいけない、なんとかこの火を「平和」のために使えないか、そんな葛藤に、綺麗事ではない、人間の本気を感じたのです。

原爆の残り火を入れたカイロに触れ、泣き出す人。
火を見た瞬間、憎しみで、この火を消したいという衝動に駆られたのをグッと我慢した被爆者の方。

原爆の残り火が生み出すドラマに、どんどん引き込まれていきました。
これは、ちゃんとカメラに収めなければならない。
気づいたら、40日間、無我夢中でカメラを回し続けていました。

「おいおい、会社何日休んだんだ?」
(つづく)

星野村 平和の塔で燃え続ける原爆の残り火

採火式

原爆の残り火をカイロに移す


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